しまった!!

『しまった!』
 山道を猛スピードで駆け下りていた時だった。
 暗くなるまでには山を降りなければと焦っていたのは事実だ。
 バチンという音と共に細いワイヤーが足に絡まり、あごが地面に食い込むほどの勢いで前に倒れた。
 地面との猛烈な接触の衝撃が、体の各部をしびれさせた。特に痛みが激しかったのは、ワイヤーが巻きついた足だった。皮膚がめくれて血がにじみ出ている。
 くくり罠と呼ばれるイノシシ用の仕掛けが施されていたのだ。
 筒の縁に輪にしたワイヤーを引っ掛け、地面に埋めた筒の底を踏み抜くと、筒が抜けて足にワイヤーが食い込む仕組みだ。
『痛っ』
 もがけばもがくほどワイヤーが足を締め付ける。
 食い込んだ罠が足から抜けないように、ワイヤーの戻り防止金具が利いているようだった。
『クソッ。こんな所で』
 夕暮れ時の山中には人影も無く、助けを求めて叫んだ所で事態に変化は無い様に思われた。
 私を待つまだ小さい子供たちの顔が思い浮かぶ。
 一男(かずお)次男(つぐお)三男(みつお)姫(ひめ)花(はな)
 もちろん今となっては母親として体も丸みを帯び、貫禄が増してしまった我が伴侶の顔も、
なぜか若い時のまぶしいほどの笑顔が思い出された。
 遅い帰りを心配して、誰かが迎えに来てくれないだろうか?
 そう思った時。
 背後の草むらで物音がした。
 助かった!地獄に仏とはよく言ったのもだ。辺りが暗くなっていく中、そこだけが光り輝いて見えた。
「助けてくれ」
 ジタバタともがきながら何とか気を引こうと試みる。足に巻きついたワイヤーを外してもらえないだろうか?それほどの力が無いのなら、せめて話し相手になって欲しい。
 この場から一歩も動くことが出来ない孤独は、心細く、生き抜く気力さえ失いかける。
「とにかく、こっちに来てくれ」
 そんな声に反応するかのように、物音が近づいてくる。
「よかった」
 しかし、草むらから顔を出した男は、こちらを見るなりとぼけた声を出した。
「おお。これはこれは、でっかい獲物が掛かっているな」
 足を取られて動けずにいるこの光景が、よほど間抜けに見えるのか、猟銃を抱えた男は、ニヤニヤしながら近づいてくる。
 何笑っているんだ。男の態度に腹が立ち大声で怒鳴った。
 それでも男はひるまない。
 そうか、この男が仕掛けたのか。
 倒木や岩を使って、ここに導かれた。今思えば自分の不注意だったのだ。
 こうなってしまったからには、私で良かったと思うしかない。私がここでこうなったことを知れば、他のみんなは慎重にここを通るだろう。
 覚悟を決めた私に向けて、男が猟銃を構えて言った。
「何人分のシシ鍋が出来るかな」
 ためらいも無く響く銃声は、辺りの空気を震わせ、一瞬山が震えたかのように思えた。

「いかがでしょう?ご隠居」
 春の陽を浴びながら縁側に腰掛けていた中年男が、顔をほころばせながら言った。
「なるほどなぁ」
 ご隠居と呼ばれた老人は、縁側近くまで運んだ座椅子に背中を預けるようにして、大きく頷いた。
「さすがさすが。お前さん、ご近所で物書きと噂されるだけのことはあるな」
「いやいや、それほどでもねぇ。実は最初から主人公がイノシシだったっていう落ちなんですよ。最初の、暗くなるまでに山を降りなければ!というのも、暗い時間には人のいない田畑で、農作物を掘り起こしていたいというイノシシを示しているし、くくり罠と呼ばれるイノシシ用の仕掛けという所でも気づく人は気づけるかも知れませんが、どうです?驚いたでしょ?」
「そうだな。イノシシを擬人化して、最後のメッセージも、死に行く者の功績は、後世のきっと役に立つ的な締め方で、面白いんじゃないか?」
 ご隠居さんが、手にしていた原稿を縁側の男に返す。
「おや?それだけですか?物足りなかったですか?」
 男が原稿を、力無く受け取った。
「最後の一文も、銃の恐ろしさをうまく表現したつもりなんですけどね」
「ああ、ためらいも無くの一文だね。一思いに死に至らしめる猟銃とくくり罠の比較も面白いとは思いますが、もう一ひねりですかね?どうしてもイノシシの話に終始していますから、身につまされる感じが無いのかも知れないなぁ、真に迫ってこないというか」
 煮えきらない様子を見せるご隠居に、縁側の男がグイッと身を寄せて迫る。
「なるほど!ご隠居さんは昔、書き物で賞を取ったことがあるそうで、そこを見込んで真っ先に読んでもらったんだ。手直ししたほうがいいと思う所をズバッと言って下さいよ」
「そうかい?このままだと他に読み取れるとしても、急いでいる時こそ慎重に!という意味合いぐらいだろ?さらに含みを持たせるのなら付け足す方向で、こんな続きはどうだろう?」
 ご隠居さんが座椅子から身を乗り出し、話を進めた。
 イノシシを仕留めた猟師は、獲物を荷車に乗せて自宅に帰る。家ではかみさんが子供を背負いながら夕食の準備中だ。
「ただいま」
「お帰り、あんた。こんな時間までどこに行っていたんだい?あたしが食事の準備をする時は、子供たちの面倒を見てくれる約束だろ?」
 家には子供が五人もいるんだから!なんて言って、奥さんは背負っていた子供を猟師の背に預けた。
「ほうほう、なるほど五人の子供ね」
 ご隠居の話の最中、からくりに気づいた縁側の男が辛抱出来ずに割って入ってくる。
「こいつはイノシシと同じ設定じゃないですか!」
「そうそう、擬人化していた話を人間のほうに引き戻す鍵だな。いいか?話を進めるぞ。女房に怒られた猟師は、起死回生の一発として、大きな獲物を自慢するんだ」
 ご隠居さんが男の反応にニコニコしながら話を進める。

「すまねぇ。でも、見てくれ、今日の獲物は大きいぞ」と男が意気揚々と出入り口を指差す。
 開けたままの玄関から外の荷車に載った大きなイノシシが見える。
「あんた。何で開けっ放しなの?今、食事の用意をしているんだから、さっさと閉めておいで」
 ほめられると思っていた男の顔からは笑顔が消え、肩を落としながら戸を閉めに向かう。
 日頃でも口数が少ない猟師に対して、女房殿は思ったことをズバズバと、マシンガントークを繰り返す。
 ま、この辺りで猟師は、しおらしかった昔の女房のことを思い出すんだろうなぁ。
 罠に掛かったイノシシが昔を懐かしむシーンに被せる訳だ。
 それで、その時、猟師は思うわけよ。
 今は虫の居所が悪いようだ。ほとぼりが冷めるまで、少し外に出ていようとな。
 物音を立てないようにそっと家の外に向かおうとすると、足元に残りの子供たちが絡みついてきた。
「ねぇ、父ちゃんどこに行くのぉ」
 いくら子供とはいえ四人に片足を抱きかかえられては、一歩も動くことは出来ない。しかも背中に、幼い子を抱えている。無理に動けば落としかねない。
 動けない!そう思って改めて女房のほうを見ると、意味ありげにニヤリと笑った。
 仕込まれている。子供たちはこうなった場合にどう動くのかを、女房に教え込まれていると気づくんだな。
 猟師はその場に打ち込まれた杭のように、そこに留まっているわけさ。
 足に巻きついく子供たちは、まるでゲームを楽しむかの様に腕に力を込めている。
 その様子を見守っていた女房が、不気味な笑顔を浮かべたままこう言った。
「逃げられると思っているの?」

「と、まぁ、付け足すとこんな具合だ。続きを書く以外にも方法はあるとは思うが、ここまで書くと、どこと無く因果応報をイメージさせて、捕まった者の悲哀や切なさ、人間は罠にはまりながら生きているんじゃないか?そんな人間の生き方を再考するきっかけになるのではないかな?」
 ご隠居さんが切のいいところで話を止めた。これ以上いろいろ言った所で、原作者の頭が煮詰まってしまいそうに思えた。
「物語の受け取り方なんて人それぞれだ。例えば足にまとわり付く子供を額面どおり子供だと思う人もいれば、書かれていない部分を想像して、複雑な人間関係や世間のしがらみではないかと考えてくれる人がいるかも知れない。物語に対して自分がどういう状態で出会うのかで、引っ掛かる場所が違うだろうし、解釈も自由であっていい。私などとうの昔に妻を亡くしている者からすれば、こんなやり取りに懐かしさを感じるかもしれなし、最後の逃げられるとでも思っているの?という台詞が引っ掛かれば、生きることからも逃げられないし、もちろん死からも逃げられないという命の複雑さを感じ取ることも出来るだろう。読み返す度に新たな発見があるかも知れない。いろいろな読み取り方が出来るようにと、話をぼかしてしまうのはむしろ逆効果で、しっかりと一本の筋を通しておくからこそ、いろいろな解釈が出来るというのも、物語の面白さかも知れないな」
 ご隠居さんの言葉に、縁側に座っていた男の目がランランと輝きだした頃、そこへ一人の中年女性が飛び込んで来た。
「あんた、またここにいた。いつもすいませんね、ご隠居さん」
 縁側に座っていた男は突然の妻の登場に腰が引けていた。
「ほら、あんた早く帰るわよ。いつまでも訳のわからない本書いてんじゃないの。一銭にもならないんだから」
 反論の余地を与えられないまま、男が耳をつかまれて帰っていく。
「イテテテテッ」
「いくら痛がってもダメ。逃がしはしないわよ」
 先ほどまでご隠居さんの話に傾けられていた耳が、今は真っ赤になるほどにつねられ、家に連れ戻されていく。
 そんな夫婦のやり取りを、ご隠居さんは笑いながら見ている。
 物書きの男は、小さくなっていくご隠居さんの顔を見ながら、罠にはまって生きてきたからこそ、振り返ることの出来る人生の重みを感じたのでした。

おしまい。

登場人物のキャラなどこれから物語を進めるにおいて重要な書き込みはしっかりと設定しますが、それ以外の部分は、読み手の創作力を借りないと、書くことが多過ぎてごちゃごちゃしてしまいますから、
読んでくれている人のイメージをさらに掻き立てるための書き込みをするようにしています。
何でも良いとか

実際何色でも構わないのかも知れません。矢印が示すことに意味を見出だしたいのは僕なのかも知れないし、だとすれば金色である必要など全く無いのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください