つけすぎた女
つけすぎた女
『うっ、何だこれは?』
繁華街のネオンに照らされながら、パトカーの助手席から飛び出した年配の警官は、突然固まって顔をしかめた。
腕を使って鼻と口を覆いながら、車のドアを閉める。
運転席にいた若い警官は、助手席から流れ込んで来た空気を気に掛けながら、現着の報告をしてパトカーの外に出た。
『何だ。これ?』
深夜なのにカラフルで明るい表通りから、落とし穴のような薄暗い裏通りを見つめる。
いつもなら生ゴミとアルコールの鼻をつくニオイに、立小便のアンモニア臭が混じり、ホステスがつける香水は身を潜めているのに、むせ返るほどの甘いニオイが闇の底から漂ってくる。
手で口元を覆い、ライトを手にした先輩警官と暗闇に歩を進めた。
『だんだんきつくなるな』
次第に濃くなる香水のニオイが、二人の身体にまとわりつく。
これではたとえ警察犬が出たとしても、その鼻が麻痺してしまうんじゃないかと思われた。
『あ、あれか』
ベテラン警官が持っていたライトが、半透明のゴミ袋の山に向けられた。
光を反射して光る物が、そこにある。
若手警官が照らされた明かりの中で、小走りに現場に近づく。
積み重ねられた生ごみの袋をクッションにして、腹にナイフを突き立てたコート姿の女が倒れていた。
『えー若い女、年齢20代後半と思われる』
若い警官が無線機のマイクに向かって、その特徴を挙げていく。
身長は160センチほど。茶色に染めた、ゆるくウェーブのかかった髪は肩にかかるぐらいに長く、ブランド物の赤いハーフコートに白いワンピース。
片手でナイフの突き刺さった腹部を押さえ、もう一方の手に携帯電話を握り締めている。
『自分で通報したんだな』
ベテラン警官の言葉に、若い警官が頷いた。
高く積まれた生ゴミの袋はほとんどが破けていて、流れ出た汚泥汁が、女のコートに染み込んでいる。周りに転がる空き瓶からも、雑多な酒のニオイが混じりあい、そのニオイだけでも悪酔いしそうなのに、追い討ちを掛けるように女から匂う香水がそれらに混じり、先程よりさらに猛烈な刺激臭になっている。
『つけ過ぎなんだよ』
現場を調べながら、嗅覚を奪われた若い警官がつぶやいた。
『まったくだ。だが、ゴミための臭いニオイの中で息を引き取るよりは、自分の好きなニオイの中で死ねるほうがよくないか?』
『そうかも知れないですね』
鼻を押さえて顔を背ける若い警官。
ベテラン警官はニオイにひるむことなく観察を続ける。
『それにしても出血が少ない。いや待て、これはまだ死んでないな』
『えっ』
『脈がある』
腹部を見ていたベテラン警官が、女性の首筋に指を当てた。若い警官も慌てて、携帯電話を握る女性の手を取った。
『細い割りに重い。死後硬直じゃないんですか?』
『確かに柔らかさが無い、しかし、これは』
ベテラン警官がナイフの刺さった服の切れ目に指を入れて、女性の服を引き裂いた。
『これは・・・』
そこには肌を包む薄い膜があった。
『補正下着?』
『強烈に身体を締め付けているな。おかげで血流が悪くなっているようだ』
ベテラン警官が、深々とナイフが刺さっている女性の腹部を確かめている。
『だから出血があまり無いのか?』
若い警官も手にしていた女性の腕を確認する。
袖口から腕用の引き締めサポーターが見えた。
『全身を固めているのか?それでこんなに硬いんだ』
『大丈夫ですか?しっかりして下さい』
ベテラン警官が呼びかけるものの、反応は無かった。
『全身スーツが反応の邪魔をしているのかも知れませんね』
若い警官の言葉に、ベテラン警官が頷く。
『締めつけ過ぎなんだよ』
脈もとれない女性の硬い腕を下ろしながら、若い警官がつぶやいた。
ベテラン警官が救急車を要請し、まもなく女性は病院に運ばれた。
『君がやったのか?』
取調室で、一人の若い男がうなだれている。
事件から数日後、捜査線上に浮かんだ男が呼び出されていた。
現場近くの派出所では、事件当日いち早く掛けつけたベテラン警官が、机に向かって事務仕事をしていた。
『お疲れ様です。この前の事件、被疑者が挙がったそうですね』
後ろから声を掛けたのは、同行した若い警官だった。
『ああ、ストーカーがらみのもつれらしいな』
『ええ、付きまとった末に、自分の思い通りにならないからと取り出したナイフが、もみ合っているうちに腹に突き刺さったと』
『はい、その通りです』
取調室で下を向いていた若い男が答えた。
『でも、ぼくのどこが悪いんですか?ぼくはただナイフを避けただけだ』
突然火がついたように激しくしゃべりだした若い男。
『あの女が自分でナイフを取り出して、突っ込んで来た。勝手にゴミの中に突っ込んで、動かなくなった。それだけだ。ぼくのどこが悪いんですか?』
興奮した若い男が立ち上がる。それを制するように、対面していた取調官が一喝する。
『そのままにしておくのは、どうかと思うよ』
若い男が力無く、再びイスに腰を下ろす。
『だって、どこに行ってもあのニオイがするんだ。何をしていても、何を食べていても、あのニオイが』
若い男は放心状態で言い訳を続ける。
『姿が見えなくてもニオイだけがまとわりついて来る。あの女のニオイだ』
『最近では女性が近くにいなくても、そのニオイを感じてしまうほどに刷り込まれていたらしいな』
『可哀想に』
派出所では隣り合って座りながら、若い警官とベテラン警官が事件の顛末について話し合っていた。
『それにしても、つけていたのが女性のほうだったなんてな』
『つけ過ぎなんですよ』
若い警官の言葉に、ベテラン警官が頷いた。
『それで病院に運ばれた女性はどうなった?』
『残念ながら助かりませんでした。亡くなる前に被疑者の名前を言って息を引き取ったようです』
『そうか、何とかなると思ったのに』
『腕も腹も、半分ぐらいのサイズになるように、補正下着で締め付けていたそうですけどね』
『ついてないな』
ベテラン警官の一言は、亡くなった女性と、巻き込まれてしまった若い男に対しての思いがこもった言葉だった。
今一つピンと来ない読者に対してベテラン警官がつぶやく。
『それにしても、つきまといってやつは付け過ぎた香水に似ているのかもな。付け過ぎると自分でも感覚が麻痺して、大変なことになっているのに気づけない』
おしまい。
おはようございます♪
羊さん、、かわいいいですね。
本年もよろしくお願いいたします☆
ももさん いつも励みになる書き込みありがとうございます♪
この取材の時に羊を数えていたら眠くなりました。
羊が一匹、羊が二匹、・・・
今年もがんばります!