時間がもったいない!!

Mr.X

>拾えるものは拾う
>「引っ掛けて」が重要
>あごが疲れてしゃべれない 
このオチに魅力があれば、そこに持って行くように組み立てる。
魅力がないと思えば、そうしない。
そんだけの話なんだと思うのですが、違うのでしょうか。

それだけの話です。オチの魅力の話です。
話として落ちているのか?それとも『ただ終わっているだけなのか?』
作者が投げ掛けた事柄が、すべて割り切れたことを、まさに『腑に落ちる』となり、は?落ちたと考えるか、ある程度の解決で魅力的な話に出来るのかどうか?

なぜ猿轡をかませたのか?この意味合いが『それはあんたが振動で舌噛んだりしないようにあるんですからね』の一つだけなんですね。確かに意味はあるのでしょうが、
一つの事柄に一つの意味合いが『面白い(興味深い)』のか?それとも『ペケポン』というテレビ番組の川柳のコーナーでよく言われる『二つの意味をもっています』という、一つの事柄に対して二つ三つ意味を持たせる工夫と比べて、どちらのほうが『面白い(興味深い)』か?という所に話に対する元々の考えの違いがあるようです。

一つの事柄に対して一つの意味合い。
これは、
『昔々』と『めでたしめでたし』の話を、『冒頭と〆で2回重ねて揃えることは、語り口の調子を合わせる技法として存在しますが、それを殊更面白いとは思いませんし』と説明しているあたりで、多様な考え方が出来ないことがわかりました。
『語り口調を合わせているだけ』としか取れない感性なんでしょうか?
前フリと〆コメを合わせる美しさというか、出来のよさを感じないんですね。
こういうのはいくらでもある。このような文章は幾らでも知ってるし、楽勝で出来るということでしょうか?
これって結構難しいと思うんですけどね。
『それは遠い昔の話です』と入ってもいいし、『昔』と入って『めでたしめでたし』と終わることも可能ですが、この『昔昔』と『めでたしめでたし』の完成度の高さに気が回らないのでしょうか?それであれば、そういうセンスなのでしょうから、そこまでの話です。
一つの事柄に一つの理解。決して悪いことではありませんが、物事を創造する感性として、いろいろな方向から考えるとか、多面的に考えられる訓練は必要かと思います。

少なくとも、私は伏線を回収したからなるほど、とは必ずしも思わないです。
書き手からすれば、工夫をしたところを評価して欲しいという思いは働きますが、読み手にとってはそういうのって目障りに感じると思うのです。
拾えるものは拾ったらいい、確かにそのとおりだと思うのですが、「伏線→回収」自体が目的になってしまって、拾う必要のないものまで拾いに行くことは話の面白さとは関係のない話だと思います。←このあたりも感性の問題だと思いますが、
『拾う必要のないものまで拾いに行くことをどう思うか?』どのあたりまで拾うか?
『書き手からすれば、工夫をしたところを評価して欲しいという思いは働きますが、読み手にとってはそういうのって目障りに感じると思う』←目障りにならない書き方を工夫することもできますよね。

>設定は作者の自由

そのとおりです。
ただし、実際に存在する理論理屈を勝手に捻じ曲げるのはNG。
もちろん、機体内外で時間の流れが比例するという「設定」にしてしまうのも構いません。
が、その場合は加減速を完全無視できる理由を述べる必要が出てくるし、本作においてそこまで描く理由はない、と感じています。←そう思うのであればそれで結構。
しかし『ただし、実際に存在する理論理屈を勝手に捻じ曲げるのはNG』という所は、この物語において『実際に存在する理論理屈』となるのかどうか?妖精が出てくるファンタジーや近未来の話においては、まさに多面的な想像力を発揮するべきではないか?そんなハンドリングも、作者に任されているような気がします。

>面白い話を〜外の一分間に装置内部では10分を過ごすこと〜計算になる!という設定
私の疑問は、1分、10分という数値を出すことが、どうして「面白さ」につながるのかがよくわかりません。というところです。
私としては、機体外1時間に対し、内部の所要時間が1分でも5秒でも9.648533ナノ秒でも別に構わないと思いますが、そこにきちんと理由をつけないまま適当な数字を出すべきではない、と私は思います。
もちろん、ディテールに拘るのは悪い事ではないですが、「結果として外では何時間経ってる(と思った)」が示されれば済むストーリーなのに、あえて内外の比率で計算させる理由はないし、作中の理屈を無理に単純化してしまうのは却って安っぽくなると思うのです。
作中の設定で言えば、航行士は基礎知識として理論を理解していても構わないけれど、機体内で簡単に手計算できちゃうのは、なんだそんな簡単な計算なの?としかならない気がするんです。
それを上回るメリットがあれば、使い方を考えてうまくねじ込んでもいいかなとは思いますが。←それが作者の考えであるならそれでいいと思います。

>作者が外の時間も中の時間も同じという
そんなことを言った覚えはないです。←以前の返信において『>『指が痺れそうになってきた。時間よ、止まれえ―――――ッ!』って五秒だよね。
五秒です。私は力いっぱい5秒長押しって結構辛いですが、ぬるいでしょうか』とあった所からの推測です。
確かに中も外も同一時間という直接的な書き込みはありませんが、いろいろな書き込みから推測できるのです。

外に比べて機体内の時間がゆっくり進む。
ただし、それは相対的なものであり、機体内にいる人間がそれを直接知覚することはできない。
よって、機体内の作業において5秒は単純に5秒ですが、それは機体の外から見て絶対的な値ではない。
そういう理屈だと認識しています。

>その設定が『笑える話を〜という原因でなければいいと〜
 
何故カジ・リん坊さんがそう感じたのかが不思議ですが、「笑える話〜」云々と、時間旅行の理屈は関係ないです。
今作において、時間旅行は劇のギミックなのであり、それ自体が笑いを誘うというようには考えていません。←『それ自体が笑いを誘うというようには考えていません』それが作者の考えですから『それで結構』ですが、貪欲に笑いを取ろうと思えば、何につけても笑いに挑戦することも出来るのでは?という客観的な考えです。笑いを取ろうとしているのか?真面目な作品にしたいのか?そのあたりの線引きも作者の自由ですから、別にこれでいいと思うのであればこれでいいと思います。

>昔々
>めでたしめでたし
その形に拘る必要ありますか? 私はないと思いますが。←無いと思うのであればそれで終了です。
冒頭と〆で2回重ねて揃えることは、語り口の調子を合わせる技法として存在しますが、それを殊更面白いとは思いませんし、その為に作中のギミックを不自然な使い方にするというのも何か違う気がします。
私個人が未熟なのは認めますが、仰ってることが理屈としてなるほどとは思えなかったので、もう少し未熟者にもわかるように説明いただければ有り難いです。

>ヘッドレスト
まず、スイッチの場所はどこでもよくはないです。
「主人公が意識しないと見つからないが、実はすぐに手の届く場所にある」
これがポイントです。
その条件を満たす範囲ならばヘッドレストでもシートバックでもオデコの上でも構わないと思います。

たとえば、物理的に開けにくい所、厳重に封印してあって解除に時間がかかるところ、にしてしまうとまた話が少し変わってしまう感じがします。
いや、あるいはそれでもいいんですけど、
「舐めていた主人公が、いじわる試験機に一杯食わされる」そのプロセスが、私の狙いだったので。←実験を舐めていた主人公が一杯食わされるのにヘッドレストがいいか?猿ぐつわがいいか?といった所だと思います。
また、ヘッドレストについて事前に言及するほどのことではないと思ったのでわざわざ書いてない、という点についてはいかがでしょうか。やはり唐突で宜しくないでしょうか。
←わざわざ書きたくない為の猿ぐつわなんですけど、このあたりのニュアンスが伝わるかどうか?

>常套句

まず前提が呑み込めないのですが、

「許してもらえそうにないなこりゃ」
というセリフから、カジ・リん坊さんはいかりや長介の
「ダメだこりゃ」
を連想した、ってことで良いんでしょうか?←連想したのではなく連想できそうなぐらい、それに匹敵する〆方ではないかと思わせてくれました。

失礼ながら、私は単にカジ・リん坊さんの思い込みのように思えるのですが…
少なくとも、それが「常套句で〆る」ということになるってのはよくわかりませんです。
>誰でも思いつく
まず、奇をてらえばよい、というものではありません。
意表を突く事ばかりが「面白さ」ではないと考えるからです。
また、先にカジ・リん坊さんご自身が主張されてる「昔々〜めでたしめでたし」の様式も、古典的な手法として存在しています。
※ご発言の内容が矛盾しているように感じるのですが、気のせいでしょうか。
←奇をてらえばよいのではなく、この物語ならではの〆方を考えるべきでは?といった所です。一例として冒頭上手くしゃべれないがあるので、〆も上手くしゃべれないと持っていく方法もありますよ!ということです。それが、昔々とめでたしめでたしです。
また、時間よ、止まれというタイトルですから『時間』に引っ掛けて、
『本番の起動実験は二十日後に行う。それまで十分休養しておけ』
 俺は正直御免こうむりたいが……許してもらえそうにないなこりゃ……。ではなく、
もう一度、色々とややこしい操作説明を読み返さないと、それにしては時間が無さ過ぎる。と、まさに時間よ、止まれを感じさせて終わる方法もあるのかな?と思います。
この文章のタイトル『時間がもったいない』も、時間よ、止まれを感じさせる工夫をしてみました。^^

>頭を使わない=子供向け
そういう方もいらっしゃるのかもしれませんが、これは子供向けを作られてる方に失礼だと思います。←これは、この作品に対しての感想ですから、すべての子供「向けの作品に対していません。この作品において『頭をひねることも無く、常套句に逃げている』ような感じなので、子供向けに思えるということです。『子供向けを作られている方に失礼だと思います』と問題を摩り替えないで下さいネ。

>手間隙掛けた感じがしない=安っぽい
これははっきり逆だと思います。
「作者が工夫を凝らしたな」なんて読者に思わせるのはダメでしょう。←どのように思わせるか?思わせるのではなく感じさせるのか?そこは工夫次第でしょう。ダメではないでしょう。むしろそういう工夫を考えないで、最初からダメだと思うほうがダメではないかと思います。

>謎かけ
すみません、ここは嗜好の問題だとは思うのですが、私は一読者として作者のミニクイズを楽しむ趣味はあまりないです。
その手の作品は巷に色々あるのでしょうが、本筋からそれて作者の謎かけみたいな意図が目につくと、「ナンパした女じゃあるめえし、どうでもいいぜ」という気分になります。
少なくとも作品としての「面白さ」とは関係のない要素だと考えています。
あと、そういう要素がなぜ「余韻」を生むのか、というのもイマイチよくわかりません。
「余韻」という言葉の使い方が、私と少し違うのかもしれませんが…。
←このあたりも、それとなく『どう読み手をひきつけるか?の工夫』の話しですから、興味が無ければ気にしないで下さい。余韻の意味合いはちょっと前に書いてあると思います。タイトルを感じさせる終わり方です。

>作者がそう思うのならそれでいい

もちろんその通りです。
ただ、私は、意見が対立する事は良し悪しではないと考えています。
私はご意見に色々反論をしておりますが、発言者を説得したいのではなくて、自分と違う意見を拾いたいという趣旨ですので、その点はご理解いただければと思います。
質問攻めになってしまって申し訳ないのですが、
全体的にご発言の内容とか話の論理展開が分からない箇所が多く、カジ・リん坊さんのお考えが上手く読み取れてないのだと思いますので、お気を悪くされたら申し訳ありません。
面白くない作品にイチャモンをつけているのではありません。魅力的だからこそ、さらに工夫してみてはいかがでしょうか?という思いです。その工夫のポイントを思いついただけです。別に工夫しようがしまいが、こちらには関係ないのでお好きにどうぞ。
でも、工夫したくてこちらの言ってることが判らないのであれば、返事をしたいと思いますが、そういう気持ちも無く、意見に対する反論では水掛け論ですから、以上です。という感じです。
ちなみに悪い気持ちにはなっていません。是非次の作品も読んでみたいと思っております。

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