切り絵はハサミで切る「紙きり」と言われ、いわゆる、舞台で演じられる芸事と、 穿刺紙(せんしし)と呼ばれる切り方があります。
穿刺紙は始めに下絵を描きます。
描きあがった絵に、トレース紙を置き、書き写し、トレース紙の上から、下にあるゴフン紙をカッターで切り抜いて作品を仕上げていきます。
私が行っております切り絵は、頭の中で創造した物をいきなり、鋏(はさみ)で紙を切っていき、形を作り上げていく物です。
歴史としてはまだ浅く、舞台で切り始めたのは明治の初めだそうです。
初代は(おもちゃさん)と申す、この方が、お座敷芸から、舞台芸に仕上げました。
この方は、幇間(ほうかん)すなわち太鼓持ちでした。
いわいる、男の芸者さんで、踊り・長唄(ながうた)・端唄(はうた)・小唄(こうた)・都々逸(どどいつ)・声色(こわいろ)など遊び事ならなんでもござれの方でした。
さて、時は流れ、戦後のテレビ時代。
まだまだ、テレビは高価で一般家庭には手が出せない時代で、街頭テレビが華やかしき頃です。
昭和29年、毎週金曜日7時55分からワンダフル クイズという番組が有りまして、正解すると化粧石鹸がもらえるという番組でした。
この番組のディレクターが私の師匠、柳家一兆のもとへと頼みに来ました。
そのクイズが紙切りで、柳家一兆師匠が切ったものを、テレビで映して、
「さて、この形は何でしょう?」
日本全国のお客様に当ててもらって、正解者毎週100名の方に化粧石鹸が当たる!という番組です。
わが師、一兆はあっさりと断りました。
「馬鹿やろうーーーー!俺の切ったものは誰が見たって、100人が100人当たるよ!なめんなこのやろう、そんな、クイズに使う、訳のわからない切り絵は正楽に頼め!!」
従いまして、日本で始めての切り絵クイズは、林家 正楽に決まりました。
しかし、その放映時間帯がすばらしかった。
8時からの力道山のプロレス中継の直前。
7時55分からの5分間番組のワンダフルクイズ!
プロレスといえば、日本全国テレビの有る所、黒山の人だかり!
従いまして、紙切りと言えば、林家正楽と皆様方に知られるようになりました。
しかし、クイズの正解者が少なかった事は、確かなことです。
只今の、林家 正楽は3代目でございます。
我が師、名人 花房蝶二。
蝶二 師は、最初はお父様から手ほどきを受け、小学校の三年生で舞台に立ったそうです。
後に、柳家一兆 師に入門して腕を研いて、中学の時から米軍キャンプで活躍し、「モダン紙切り、花房蝶二」で人気者でした。
夜のクラブ、キャバレー全盛期、あまりに蝶二 師が売れたので、一兆 師が柳家から花房に名を変えたくらいです。
柳家一兆改め、花房一兆に...
その後小倉一兆に改名しました。
その、我が師、柳家一兆・花房蝶二の教えは、
「切り絵は飾ってもらえるように、コシラエナサイ。もらった、人が、喜ぶような物を、コシラエナサイ。いつまでも、残るような物を、コシラエナサイ。細やかに、丁寧にお客様に心込めて!」
今、日本に切り絵師は、林家が3名、柳家1名、桃川1名です。
柳家 松太郎
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