そこを違和感無くつなげるか???

 映像を編集していて、広い絵とアップの絵を交互につないでいくことが多いのですが、この絵とこの絵はつながるだろうか?と思い悩むことがあります。テンポを考えると別の絵をはさみたくない!だけど、違和感があるとダメな編集のほうが気になってしまい、主題が伝わらない。

 腕のいい編集マンは、その絵がつながるのか?つながらないのか??などを考えないで、尺を調整したりそこまでの絵のつながりを調整するなどして、そこをつなげるための工夫をします。

 文章を書く時にも『ソロアイドルの場合、4~5年が限界という話を聴いたので、そちらを参考にしました。とのことですが、現実はそうかも知れませんが物語って奴は、作り手の表現したいことが伝わるかどうかが問題で、そのためにその事実(アイドルは4~5年が限界)を、違和感無く使えるか(そこを違和感無く進行できるか)どうかが問題だと思います』や『もしもコーヒー代の600円だけ小銭をポケットに入れると、歩くたびにチャリチャリと音がしてしまいます。それと、大人である主人公は、ちょうどよりも多めに持っている方が安心できる気がしました』というのも、休みの日だけは子供の頃のように、必要な分の小銭を握りしめて買い物に出かけたいなどと書くとかして、さもそれが当然だ!的な工夫を考えて、どうすれば話が印象的になるのかを考えるほうが腕があるような気がする。

あら祭りの原稿!!

8月の12日13日に焼津の荒祭りを中継するので、その時に少しでも実況コメントの役に立てばと、今原稿を書いているのですが、普通に祭りの概要になってしまっている。

焼津 荒祭り
毎年8月の12・13日に行われる『東海一の荒祭』として知られている。
『アンエットン』の掛け声
猿田彦:神輿の通る道に邪悪なものを寄せ付けない。海で身を清める。
御神子(いちっこ):人々の心を清める舞を舞う
御供棒(おんくささげ);人々を代表して神様へのお供え物を奉げる。
流鏑馬(やぶさめ):焼津の町に災いが無いように祈り、青竹でできた御神矢を掲げ馬で駆ける。

神様の通る道を、お清めしながら行列が進む祭り。
港町の威勢のよさから『荒い祭り』と思われがちですが、荒っぽい、暴れるという意味の荒祭りではなく『素朴』『純粋』『まっさら』『飾り気の無い』的な気持ちで神様に向き合う意味がある。
その意味で衣装は白装束。『まっさら』『清浄』身も心も清らかであるあかし。
祭りを大切にする気持ちは、平成21年祭りの前日にあった震度6弱の地震で
灯籠や石積みが崩れた時に、自然と町の人々が集まり、手作業で修繕して予定通り祭りを行った。そういう気持ちこそが荒祭りの真髄。

神楽(舞)
乙女の舞 小学校4年生 6人
浦安の舞 小学校6年生 6人
青垣の舞 高校3年生 4人

焼津船乗りの縄綱技術が神輿にも!
神輿の屋根と銅、担ぎ棒が金具で固定されていない。『大廻し』と言われる縄で固定されている。
船の上で縄綱の技術は大事!

地域が一体となる祭。
{焼津神社}静岡県焼津市焼津2-7-2
御祭神 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
御祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)は、12代景行天皇
の皇子であり、勇敢で利発な人物であったと言われています。
日本武尊の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀りを
したことが焼津神社のはじまりです。
相殿神 吉備武彦命 (きびのたけひこのみこと:日本武尊東征の従者の1人とされる)
大伴武日連命(おおとものたけひむらじのみこと:日本武尊東征の従者の1人)
七束脛命(ななつかはぎのみこと)
創建 反正天皇4年(西暦409年)
旧名 入江大明神(いりえだいみょうじん)
境内社 市杵島姫命社(市杵島姫命=いつきしまひめのみこと:海の神、水の神)・
須賀神社(すがじんじゃ)・稲荷神社(いなりじんじゃ)
    焼津天満宮・焼津御霊神社・ 郷魂祠・他
焼津神社の御創建は反正天皇4年(西暦409年)と伝えられており今から1600年以上前になります。
日本武尊の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀りをしたことが焼津神社のはじまりです。
室町時代に今川氏が駿河の国を治めていた頃、この地域は入江壮(いりえのしょう)とも呼ばれ焼津神社はその地名から『入江大明神』とも称されました。
境内にある江戸時代の灯篭には、「入江大明神廣前」の文字が彫られています。
今川氏や徳川家など武家の信仰も厚く、また焼津地域の人々や命がけで漁に出て働いていた漁業関係者にとっての心の支えと崇められ現代までその信仰が受け継がれています。
荒祭は、一区藤組(鰯ヶ島地区を担当)二区竹組(城之腰地区を担当)
・ 三区柳組(北浜通り地区を担当)・四区桜組(元焼津地区を担当)
以上四町の祭典委員(青年・中老)の人々によって運営されています。

市名の由来
日本神話で、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の途中で地元の賊衆に襲われた時、草薙剣で葦を薙ぎ倒し、そこで賊衆を迎えうち、火を放って難を逃れた。その様相が烈火のように見えた、あるいはその火で葦が焼け燃え盛ったという伝承から、「焼津」と命名されたと言われている。

焼津神社の御神輿は、二基あって、それぞれ金の巴と銀の巴の紋がつけられています。
金の巴の御輿は「前輿(さきごし)」、銀の巴の御輿は「後輿(あとごし)」と呼ばれていて
前輿には、日本武尊。
後輿には、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)、大伴武日連命(おおとものたけひむらじのみこと)、七束脛命(ななつかはぎのみこと)の三柱の神様をお乗せしています。

道中、神輿は激しく練られ、時々横道に入ったりすることもありますが、それでも昔から後輿が前輿より先に行くことは許されません。
浜言葉 焼津弁
ヤッコラサー ええ加減なことをするな ・・・掛け声ではない!
ヤゴロ 丁度良い時分
ヤイサ こらっ、叱る
メンチャー 女性
静岡)「焼津の浜言葉」、93歳の誕生日に出版
2017年7月28日03時00分
  焼津市に伝わる方言の用語・用例集「人情を今に伝える焼津の浜言葉」を、同市出身・在住の
長谷川寅吉さん(93)が出版した。「かつての浜通りの活気を、浜言葉で若い人たちに伝えたい」と
いい、静岡福祉大の学生らの協力で書籍とCD化した。
長谷川さんは二十数年前、母校の市立焼津東小学校から「昔の話をしてほしい」と頼まれ、出向いた。緊張で時々浜言葉が交ざると、子どもたちはそのたびザワザワし、授業の後「焼津の方言を教えて」と言いにきた。方言を思い出してはノートに書くようになった。そのノートがテレビ番組で紹介されたのをきっかけに2004年、同世代の男女33人で「焼津の浜言葉を遺す会」を結成した。

2017/7/22 紙面から
浜言葉を交えながら、出版の喜びを語る長谷川寅吉さん=焼津市の静岡福祉大で
焼津市浜通り地区の方言「浜言葉」を紹介する冊子「人情を今に伝える焼津の浜言葉」の出版を
祝う会が二十一日、焼津市の静岡福祉大であった。

これじゃないな。
もっとグイッと引き寄せるネタは無いかな?

8月12日13日、やいづ荒祭り!!

毎年8月の12日、13日は焼津で荒祭りの中継!
朝5時ぐらいに藤枝で機材を積み込むのですが、この集合時間に毎年職務質問を受けるのも恒例。

基本的にカメラマンは他のカメラに撮られても目立たないように黒っぽい服を着ている。
黒いTシャツに黒いウインドブレーカーを羽織、パンツも黒で、朝5時前にバイクで住宅地を走行していたら、そりゃ止めるよね。
それで毎年『今から祭りの中継なんです』って言うのですが、管轄が違うのか?藤枝のおまわりさんは焼津の祭りの事を知らないみたいで、毎回免許証を見せている。

前回はそんなやり取りの最中に、中継者が横を通り過ぎて行った。
止まって一言『中継スタッフです』って言ってくれれば話が早いのに!と思いながらも、毎年のことなのでこの職務質問が無いと、祭りが来たって感じがしないかも?と思った。

スーツ?1着しか持ってません!!

年末に第九の生中継をする時に、オーケストラにまじってステージの上に上がるので、その時に着る服なんですけど、もう十年ぐらいおなじみの服です。

ネクタイも一本しかないし、それは五年ぐらい前に買い換えたのです。

シミが付いちゃったので、たぶんシミが付かなければ買い換えて無いと思います。

だって、あんまり使わないんだもん。

それをレセプションがあって着なければならないんですが、この夏場に6日と11日。

クリーニングに出す時間があるだろうか?