伏線殺人事件!!

Mr.X

「お客様にお知らせいたします、お急ぎのところ大変申し訳ありません。進行方向の踏み切りでトラブルがあり、一旦車両を緊急停止します」
 車内アナウンスがあり、電車が止まった。
 急ブレーキではなく緩やかに止まったものの、まだ駅は遠く、長く続く線路の途中だった。
「何だ?」「どうした?」
 一瞬、車内がざわつく。
 ぼくも手にしていたスマホから顔を上げ、周りを見回した。
 郊外の住宅地と繁華街をつなぐ通勤電車も、土曜日の午後の便は学生や年配の男女、子供を連れた若いママ友たちが席を埋めていた。
 窓を背にした横長の席が両側ともそれなりに埋まり、立っている者が無いおかげで暖かな春の日差しが、たっぷりと車内に差し込んでいる。この気候がそうさせたのか? みんな何事かと、イスに腰掛けたまま周りの様子を伺うが、動揺した感じは無かった。
 そこに再び車内アナウンスが入る。
「ただいま前方の踏み切りで事故発生の連絡があり、上下線とも運行を停止しております。お急ぎのところ、大変ご迷惑をお掛けします。運転再開までしばらくお待ちください」
 聞き耳を立てていた乗客たちが、状況を受け止める。被害としては少し遅れるぐらいだとわかり、ホッとため息をつく者もいれば、スマホで車内を撮り始める者までいた。
「しばらく放置プレイだな」
 隣に座っていたカイトが呟いた。ぼくと同じ作家教室に通う二ツ橋工業大学の学生で、カイトはペンネームだ。本名は知らない。教室に通う仲間はペーネームで呼び合っていた。
「最近、事件事故が続くなぁ」
 このところ立て続けに、作家教室の仲間が亡くなっている。パジャマ姿でマンションからの飛び降りたり、首吊りや焼身自殺をした者もいる。
 作家になる夢があり、カルチャースクールに通いはじめたものの、自らの手で終止符を打つなんて、彼らは何に気づいてしまったのだろう?
 才能の限界か? それとも夢の大きさだろうか? 
 そんな事件がある度に、教室の授業はストップしている。指導を担当する元編集マンのオッサンは、休校になっても月謝はしっかりと取る。
 何人もの作家を育てたことが自慢で、短足デブの癖に儲けた金で似合わない外車を乗り回している。
 車高の低い外車は、教室近くの踏み切りを渡る時に、必ず車体の底部を線路にこすり付けている。
「先生の通る踏み切りは普通以上に真ん中が盛り上がってるみたいで、よく過積載のトラックなんかが立ち往生してるんですよ。踏み切りを通らない道から来ればいいじゃないですか」と言ってみたことがあるが、
「あの床をこする音が、優雅に一人で仕事に向かう者から、電車に揺られて集団で目的地に向かう人への挨拶ってもんじゃないか」と笑って言っていた。
 要するに外車に乗っていることをアピールしたいだけのことなんだろう。見栄っ張りなだけだ。

 今日もこれから作家教室に行く所だった。カイトもたまたま今日は途中から同じ車両に乗り合わせ、隣に並んで座ることになったのだが、この緊急停車だ。
 ひょっとしたら、あの作家教室には行くな、あの講師は良くないという虫の知らせなのかも知れない。そんなことを考えていた時だった。
「ちょっと、これ読んでみてくれないか?」
 カイトが大事そうに抱えていたカバンから原稿用紙を取り出した。
「ショートショートなんだけど、伏線をいくつ入れられるかに挑戦したんだ」
 押し付けるように原稿を手渡すカイトの顔は、何日かぶりに獲物を見つけたハイエナのような表情をしていた。
「へぇ、伏線かぁ。いくつ入ってるの?」
「それは読めばわかるよ」
 気が進まなかった。
 これまでにも何回かカイトの原稿を読んだことがある。天才物理学者がその知識を使って悪に手を染める話で、工業大学の学生という作者ならではの、身近な物を使ったトリックが具体的に書かれていて、それを読めば完全犯罪が出来そうな気になる内容のシリーズだった。まさに犯罪の手引書といえる代物だ。
「カイトの作品ってトリックに使うネタの構造が、リアル過ぎて怖いんだよな」
「大丈夫だよ。今回はあのシリーズ物じゃないから、妙な装置とか出てこないよ」
 原稿自体も四枚ほどの物で、電車の運転が再開されるまでの暇つぶしにはなりそうだった。
 その作品タイトルは『エリート講師』というもので、うららかな陽気の春の日にオープンカフェにエリート講師が立ち寄ると、客の機嫌を取りながら制服姿のウェイトレスがテーブルの間を縫って歩いていて、そこで講師は、妙な目付きをして自分を睨んでいる女を見つける。
 元々がエリート講師として有名だから仕方が無いと思っていたら、その女が立ち上がると実は真っ白なパジャマ姿で『秘密を知ってるぞ』と声を掛けてくる。あわてて立ち去ろうと荷物を持とうとするが、手提げカバンが無い。
 周りをよく見ると、数人の男達が講師の手提げカバンを奪い、中を覗いてニヤニヤと笑っている。講師は困惑し手にしていた起爆スイッチを押すと、カバンの内部から火柱が上がり、ほとんどの客が爆風に巻き込まれて死ぬ。その参上を見て講師が笑い声をあげると、そこに制服姿の女性が駆けつけて「こんな所にいたのね。さあ部屋に戻りましょう」と言って、男と一緒にメンタルヘルスクリニックと書かれた車に乗り込んだという話だった。
 これのどこに伏線があるのかな?
 それがぼくの第一印象だった。首をかしげながら隣のカイトをうかがう。
 カイトは最終原稿までめくり上げたぼくを見て、満足そうな表情だった。
 手元の原稿には半分の大きさのレポート用紙が、その後にくっついていて、作品を読んだ人の感想が書き込まれていた。
 これはすごい。よくこの短い中にこれだけの伏線を入れ込んだね。たいした物だ。感心したと、最初に講師である元編集マンの肯定的な感想が書き込まれていた。
 むしろ伏線が多過ぎる感じもした。しかし、うららかな陽気、制服のウェイトレス、パジャマ姿の女、手提げカバン、など複数の伏線が効果的に盛り込まれ、目を見張る出来でしたと大絶賛だった。
 ところが次の感想は否定的だった。
 これのどこに伏線があるのかよくわかりませんでした。たとえばウェイトレスや白いパジャマ姿の女、などの細かなデテールは、現実と男の空想の両方に共通するだけのもので、伏線とはいえないような気がしました。秘密を知っているの部分だけは、伏線と言えるのかも知れませんが、これで伏線を多く盛り込んだなんて、なんだか寝ぼけたことを言ってるだけのように思えました。
 ぼくと同じ感想を持ったこの人物は、文末の記入者名を見るとヒメカと書かれていた。
「ヒメカ。あのマンションから飛び降り自殺をしたヒメカ?」
「そうだよ」
 カイトはあっさりと答えた。
「それが彼女の絶筆なのかも知れないな」
 むしろカイトの顔は、それが記念になるとでも思っているかのような楽しそうな表情に見えた。
 寝ぼけたことを言っていると感想を書いたヒメカが、パジャマ姿で夜明け前にマンションからの飛び降り自殺をしている。
 事件との関係が少し気になりながらも、次の感想に目をやった。
 これは全然ダメ。 こんなイメージだけの羅列では線とは言えず『点』にしかなっていない、しかも、後々の種明かしにおいても、深い意味合いを持たない。これでは伏線とは言えないと思う。これを伏線だなんて発表したら炎上間違いなし!
 これを書いたのはマシュマロというペンネームで、河原でガソリンをかぶって焼身自殺をした男だった。
 さらに続く最後の感想は、アポロというペンネームの男が書いている。
 こちらも否定的で、どこが伏線なのか説明して欲しいと書いてある。
 伏線というのは物語の流れに関連した要素を、事前に忍ばせておくことで、話をより深く味わえると思うのだが、いろいろとキーワードが書き込まれてはいるが、単なるキーワードであり、話の流れにどうにも作用しない。これを伏線とくくる意図がわからない。

 アポロは首吊り自殺をしている。
 伏線とくくる意図がわからないで、首吊り。ちょっと考えすぎか?
「ちょっと聞いていい?」
 ぼくは恐る恐るカイトに声を掛けた。
「カイトの書いた物理学者の先生シリーズに、完全燃焼しちゃう時限発火装置や消える足場みたいなトリックあったっけ?」
「ああ、初期の作品に書いたことはあるよ。図解付きでね。でも、先生に図解はダメだろと言われたよ。文章で勝負しろってね。何でそんなこと聞くの?」
 笑顔からの目付きがやけに鋭い。文章で勝負と言う言葉と三人の死に方に妙な共通点を感じ、ぼくは心臓をギュッと握られた様な気がした。
 彼の書いた作品を何点か思い出してみる。たしか主人公の決め台詞は、ぼくにかかれば納豆の糸でも人が殺せるだった。
「まさか」
 思わず呟くと、すかさず返事が返ってきた。
「ぼくがやったと思ってる?」
 カイトの顔から表情が消えた。能面のような顔がぼくに向けられた。そして言葉が続く。
「せっかく書いた作品にこれほどのケチが付いて、ぼくが頭に来てみんなを殺したんじゃないかって?」
 ズバリ心を読まれたような気がして、言い返すことが出来なかった。蛇に睨まれたカエルのような心境で、自分からはこの展開をどうすることも出来そうになかった。
 カイトの顔がグッと近づき、言葉を続けた。
「ぼくはこう思うんだ。アポロたちを殺したのは先生じゃないかってね」
「え、先生?」
 停止している電車の車内はやけに静かで、カイトのささやきに反応したぼくの声がやけに大きく聞こえ、思わず口を押さえた。
 カイトが車内の様子を伺う。
 ほとんどの人がスマホや携帯に夢中になっていた。カイトのささやきが続く。
「ぼくはアポロたちの感想をもらって、みんなで先生を問い詰めたんだ。これは伏線なのか伏線じゃないのかってね。そしたら広い意味で伏線だって言うんだけど、アポロたちは納得できなくて、伏線に広い意味も狭い意味もあるのかって問い詰めたんだ。だいたい広く解釈する必要はあるのか? ってね。そしたら先生は何も言えなくなっちゃって。あれだけ見栄っ張りな先生だろ。この否定した三人が許せなかったんじゃないかって思うんだ。しかも、先生はぼくの書いたシリーズを最初から読んでいるんだぜ」
「き、みじゃ、ないのか?」
「メリットがどこにある?」
 カイトが刃のような目付きでぼくを睨んだ。
 なるほど、死亡した三人は自分の才能や夢の大きさに気づいたのではなかった。元編集マンの正体に気づいたのだ。作家教室講師のいい加減な知識に気づいてしまったんだ。それで講師は、三人を殺さざるをえなくなる。
「なぜきみはそれを警察に言わないんだ?」
「証拠が無いんだよ。警察だって自殺で片付けたんだぞ」
 確かにカイトが書いたとおりのトリックであれば、アリバイはあるし、証拠は残らないというのが定番だ。
「作品を持っていって、警察に説明すればいいんじゃないか?」
「ぼくのアイディアだぞ。そんなことで簡単に世間に出せると思うか?」
 まぁ、ヘタをすればカイトも共犯扱いになってしまうかも知れない。
「じゃぁ、どうすれば」
「ぼくはもし先生が、一緒に夢を追う仲間を奪ったのだとしたら、復讐をしようとさえ考えているよ」
「復讐」
 もしも復讐となれば、カイトは当然完全犯罪でこれをやり遂げるのだろう。
 原稿を返そうとしてまとめていると、感想の次にもう一枚追記として物語の続きが書かれたレポート用紙が見つかった。
 爆発現場で大笑いしていたエリート講師と制服姿の女性がメンタルヘルスクリニックと書かれた車に乗り込む所からの書かれている。
 二人が乗り込んだ車は車高がグッと下がり、車体の下についていたスイッチが地面に接触。仕掛けられていた爆弾によりキャビン内で数回の爆発がおき、血や肉片が窓ガラスに飛び散って、おしまいと結ばれていた。
 カイトはこのおしまいというフレーズがお気に入りのようで、自分の作品の締めに必ず使っていた。どうやらこれが本当のエンディングのようだ。
「なるほど、最後は車両の中で大爆発ですか、エリートって知識が豊富な分、重いのかな?」
 少し場の空気を変えたくて冗談めいたことを言ってみた。
 言いながら文章から映像を想像してみる。車の床下についたスイッチが、地面と接触することで仕掛けが作動して、キャビン内で大惨事。車はそのまま停止。
 あれ?これって。
 これがもしも、車に重量が掛かかって沈み込むのではなく、少し山なりになった踏み切りで車高の低い車が通過する時だったとしたらどうだろう? 地面に車の腹が付けば、床下のスイッチはしっかりと機能し、車は停止するだろう。
 先ほどカイトが言った「仲間を奪ったのだとしたら、復讐をしようとさえ考えている」という言葉も蘇る。
 一気に今のこの状態とリンクした。
 電車は止まったままだったが、ぼくの体は小刻みに震えていた。もしかしたらこの踏切事故。カイトの仕業ではないだろうか?
 文章にあった窓ガラス越しの車内の様子を想像すると、その凄惨さにめまいがする。
 再びカイトの言葉が思い出される。復讐しようとさえ考えている。
 カイトが書いた物語の主人公まで頭の中に登場し、この天才物理学者に掛かれば、外車に細工することなんてたやすいことだと言ってくる。
「どうした? 顔色がよくないな」
 カイトがぼくに掛けてくれた言葉は抑揚がまったく無く、少しも心配した気持ちが感じられないものだった。
 ああ、今頃先生はこの先の踏み切りで、細切れの肉片になっているのかも知れない。
 そこに、車内アナウンスが入る。
「大変ご迷惑をお掛けしております。ただいま踏み切りをふさいだトレーラーの撤去作業が終了し、まもなく開通の見込みです。今しばらくお待ちください」
「どうやら荷物を積みすぎたトレーラーが踏み切りに腹をこすり付けて立ち往生したらしいな」
 カイトは手にしたスマホの画面を覗いている。テレビのワイドショーネタになって、踏み切りの様子が中継されているようだった。
「え、トレーラーなの?」
 踏み切り事故の車は、作家教室の講師が運転する外車だとばかり思っていたぼくは、大きく安堵の息を漏らし、カイトの手にあるスマホの画面を覗き込んだ。
 上下線を塞いでいたトレーラーに運転手が乗り込み、踏切を出て行く様子が放送されていた。
 鉄道作業員が何人も現場に入り、点検整備が行われていく。
「まもなく動くね」
 とにかくこの状態から抜け出したいぼくは、そう言って肩の力を抜いた。
「ああ、まもなくだな」
 カイトは口元をゆがめた。動き出すのが待ち遠しいという表情だった。
 二人して画面を覗き込む。
 レールの点検と平行して、先に線路に交差する道の車を通してしまうようだった。
 画面にリポーターが顔を出して何かコメントをしている。
 カイトが両耳につけていたイヤホンの片方をぼくに手渡した。
「さぁ今から、事故後最初の車が通過しますよ」
 画面が横に動き、踏切を通過する車が映し出された。
 うなるエンジン音に続き、車の腹が線路にこすれる音がした。
 同時に車はストップ。キャビンの中に炎が広がった。
「大変です。大変なことが起きました」
 早口で現場のリポーターがわめいている。
「車両が、事故処理終了後。最初に踏み切りに入った車両が、線路上を通過中に車体とレールが擦れ、車のガソリンに引火した模様です。物凄い火の勢いです」
 四方の窓によって閉じ込められたキャビンの中の炎は、勢いよく渦を巻いて踊り狂っているようだった。
「注目を浴びたい奴には、ちょうどいい最後だったな」
 カイトが片耳につけていたイヤホンを外し、もう興味が無いという仕草でスマホをぼくに渡した。
 画面に映る線路上の車は紛れも無く、作家教室の講師、元編集マンの外車だった。
「はい、おしまい」
 言いながらカイトは、ぼくが手にしていた原稿を取り上げる。
 そして真っ直ぐにぼくを見てこう言った。
「それでどうだった? ぼくの作品は?」
                     おしまい

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