気が済むか済まないかの問題だ! 原稿編!!

Mr.X

 原稿を書くというのも映像編集と同じ要素があって、最初にどうやって相手の気を引くか?疑似体験させるにはどうすればいいのか?臨場感を与えるには?リアルな感じを出すためにセリフを使ってみよう!最初の一声は誰がいいのか?それとも『音』で気を引くか?など、せっかく作るのだから見てもらいたいし、楽しんでほしいし、刺激を与えられたらなぁと思って作り込むわけですが、

 一方『相手に合わせるようなことはしたくない。私は、いかに自分の心の底にある叫び足りない、表せない感情を吐き出せばいいと思っている。それで相手が何かを感じてくれればいいし、何も感じなければ何も感じない人なんだと思うだけ』だという考えもあるらしい。

 だいたい『自分の好き勝手に作って、それを見た相手が何かを感じ取ってくれればいい』などということはまず無い。
 人それぞれ立ち位置が違うので『その作者が何を思ってそれを作っているのか』を知るためには、作者の立ち位置に近づいてこそ『何かを感じ取ってくれればいい』の範疇に入れると思うのだが、その工夫もせずに『相手に合わせるのがイヤだ』という考えで身勝手な作りをしていては、感じ取れるわけは無い。

 相手に合わせるのがイヤだという考えも間違っていて、相手に合わせるのではなく、自分の元に引き込む作業を嫌がっているだけに過ぎない。

 好き勝手に作っている『もの』を見せられて、感じ取れるのは『デタラメ』という感じだけだと思う。
 それでも、せっかく作るのに『いいの。自分の好きに作れれば。それで満足』という人もいれば『いや、作るからには、何かしら相手に刺激を与えるものを作りたい』と思う人もいて、それぞれ気が済む領域が違うので、この両者が言い合っても話にならない。

 気が済むポイントが違うので、気の済むまで話し合うということが出来ない。

 要するに、どこを持って『気が済むまでやった』と満足するかなのだろう。

 やろうと思えば『どこまでも』やれる。これは編集も同じで、手を掛けようと思えばどこまでも凝れるのだが、やり過ぎて何を見せたいのか判らなくなる場合もある。

 わかりやすい例として『とにかく音楽を入れてしまう編集がある』場面が変わるたびにBGMを変えて入れてみたり、街のノイズや効果音というSE(サウンドエフェクト)を入れ過ぎて話に身が入らないなどの逆効果を生む。

 自分は必ずここまで作るという気が済むポイントがあってもいいし、作品によっても気が済むポイントは違う場合もあるだろう。

 どこまでを『気が済む範囲』とするべきなのか?

 気が済むまで調べてみたい♪

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