すさまじいばかりの民主旋風が吹き荒れた衆院選が終わった。
投票率は70パーセントを上回ったが、まだ100人の内およそ30人は投票していない事になる。これがどういう意味を示しているのか?
投票日当日に書いたブログ記事に対し、「誰が立候補しててどんな人かもわからないのに、人に誰々をお願いしますと言われて投票するようじゃ意味がない・・・」というコメント頂いたが、立候補者を知ろうと努力したのだろうか?
全ての候補者の集会に参加すべき、とまではいえないが、少なくともどの政党がどんな政策を掲げているかは目を通す必要があると思う。
ところで民主旋風は静岡7区(おもに浜松市)には当てはまらず、無所属候補の城内実氏が圧勝した。
前回は小泉旋風で片山さつき氏がわずか748票の僅差で城内をかわしたが、今回は得票数で倍以上の開きがあった。
日経ビジネスオンラインの「チルドレン片山さつき、落選の意味」という記事を読んだが、浜松気質がよく出ていて興味深かった。
浜松は祭りが生活に浸透していて、地域の連帯感が一際高いのだが、今回の結果はそれが密接に結びついているように思う。
だからこそ前回の結果には非常に驚いた記憶が鮮明に残っている。
自民党に対する不満を「郵政民営化」にすり替えて、反作用的に風向きを利用して成功したが、今回の衆院選は間接的に「自民党をぶっ壊す」結果につながっているのがなんとも皮肉だ。それに乗ったメディアも真摯に反省しなくてはいけないと思う。
アメリカでは選挙戦はメディアをうまく使った政党(候補者)が勝つといわれているが、たしかに日本でもそういう部分は否定できない。
情報網の発達により、候補者のメッセージがより具体的に生々しく伝わるようになったからだが、日本の選挙は元来どぶ板型であったはずだ。
今回の静岡7区は、地元密着型のまさにどぶ板型を貫いた城内候補が圧勝したが、その裏にある警告を忘れてはならない。
政治というのは候補者に見返りを求めるだけではいけない。
大所高所からの目線を持った政治家が、民衆をより高いレベルに引き上げると思うし、そういう政治家を輩出できないのは有権者にも責任がある。
100年の計を持つ政治家を育てられるか日本国民が試される時代が来ていると感じ、この政権交代がそのきっかけになることを期待する。 |